| :鶴の友蔵元・樋木酒造鰍フ歴史。(超幻の銘柄が全国に出回らぬ理由の一部) |
| 今から約350年前に新潟県西蒲原郡巻町に有る13戸の小さな農村部落前田村を開墾した、樋木 戸田都(とだいつ) |
| 盲人でありながら荒地や沼地を開墾し、その後の人々が、次々と肝煎役、村長を勤め全村民が一心一体となって |
| 祖先以来の美風を相継いで来たので、その間争そいごともなく火災は一度あっただけで、水難、盗難、地震などもなく、 |
| いわば小さな楽天地とも言うべき処である。只開祖樋木家が、本家、分家ともこの地にとどまらないで、各地に分散して |
| 直接前田との交渉が絶えたような形となり残念の次第で有る。だが考えように依っては広く世の為社会の為に、多くの貢献を |
| 上げたのは、時勢その人達を小さな地域に留め置く事はしないで、適材適所に運んだものと見れば神の意に従ったとも思われる。 |
| (三根山藩検証) 藩が存亡を掛けた戊辰戦争の東北出兵は無傷と言う訳にはゆかず、数人の怪我人が出て、小藩にとっての |
| 犠牲はおおいなるものがあった。それでも第九代藩主忠直公は、天保五年家督を相続すると同時に、来るべき時が来ると判断し、 |
| 直心影流の達人・佐藤茂富を師範代に招き文武の振興に意を注いだ。又家老職神戸武正も文武両道を藩士に指導した。 |
| やっとの思いで官軍となり生きる道にたどりついたのは大変よかったが、本家の長岡牧野公は賊軍の汚名いっぱいで、上下の |
| 困憊は喩えようもなかった。その因窮を見かねた分家三根山藩は、苦しい財政の中、米百俵を贈る事に衆議一結した。 |
| (樋木家は影の庄屋として活躍した)天保3年3月14日付き三根山藩主牧野家の内命に依り、親戚、竹野町大沢太兵衛方にて |
| 酒造創業、天保11年3月自宅西蒲原郡峰岡村大字前田に移転、醸造後安政2年現在地内野へ移転。稲田屋と号す、昭和28年 |
| 12月10日内野町大火の際類焼。昭和30年1月4日株式会社現組織に、蔵元樋木尚一郎社長五代目。 |
| (樋木家邸跡建碑記念・前田開村300年誌より)このように代々地元を愛し、人々に慕われた蔵元であり、 |
| 今後時代が変化しても日本人の心、文化で有る、日本酒の蔵元は引き継がれる事でしょう。 |